第7回 見落としかけた一通
正式な抗議は、会社の説明と商流の間を突いた
最初は、また迷惑メールだと思った。
私が通常業務で管理していた業務用アドレスに、経営側へ向けたらしいメールが届いていた。迷惑メールのフォルダに入っていたため、最初は同じ種類のものだと考えた。
ところが、送信者の名称が具体的だった。文章も、雑な脅しではなく、事実関係と要求事項が順序立てて書かれていた。
スクロールするうちに、私は姿勢を変えた。
ある国内企業から、正式な抗議が届いていた。
メールが指していたもの
メールの要旨は明確だった。
海外向けの販売サイトで、その企業の商品と、管理する画像や説明に由来すると見られる素材が使われている。掲載と販売を止め、素材を削除し、今後は許可なく扱わないよう求める。期限内の回答も求められていた。
さらに、会社側の説明との違いも指摘されていた。
会社の外向きの資料では、国内企業の海外販売を正式に支援し、継続的に関係を持つ事業に見える。しかし、送信者とのあいだには、そのような合意や報告の関係がないと書かれていた。
私が感じたのは、単に画像を使ったことへの指摘ではなかった。
外から見える「正式な支援事業」の姿と、実際の仕入れ・掲載・販売の関係が、一通のメールによって同時に問われていた。
私は上席へ相談した。商品ページと販売状況の確認、返信の準備、関係する販売先の洗い出しが始まった。
「本物を買って売る」
代表から私には、別の理屈が説明された。
正規に購入した本物の商品を販売している。画像の使い方が問題なら、自分たちで撮影すれば販売は続けられる。そのような趣旨だった。
その説明には、日常の売買として分かる部分がある。
自分の持ち物を他人へ売ることと、事業として大量の商品を海外で継続販売することは、同じ線上に見える。商品が偽物ではないなら、所有者が変わったあとに再び売られることもある。
ただ、現場の人たちが恐れたのは、商品の真贋だけではなかった。
ブランドとの関係をどう表示するか。どの国で売るのか。商品情報は誰が保証するのか。問題が起きたとき、誰が顧客へ対応し、誰がブランドへの影響を引き受けるのか。販売を続ける判断をした場合、その費用や責任はどの部署へ来るのか。
一方、販売継続の判断を委ねられた現場は停止を選び、対象商品の販売は最終的に全面的に止まった。
経営側の「継続できる」という認識と、現場が選んだ停止の判断が分かれた。
問題を小さくすると、責任が残る
大きな問題が起きたとき、扱いやすい一部分へ縮めたくなる。
画像が問題なら、画像を撮り直す。説明が問題なら、文章を変える。指摘された箇所だけを直す。
それで目の前の抗議に応えられることもある。
しかし、根にある問いが商流全体にあるなら、表面だけを直しても、同じ問題は別の商品、別のブランド、別の市場で戻ってくる。
誰の商品を、どの関係で扱っているのか。会社は自分を何者として見せているのか。売ることで借りる信用に、どの責任を返しているのか。
その一通は、その問いを外部から会社へ返した。
私にとって忘れられないのは、メールの強い表現ではない。
返信を書く人
正式な抗議に対しては、誰かが返信を書かなければならない。
事実を確認し、必要な対応を示し、相手の要求にどう答えるかを決める。強すぎれば争いになり、弱すぎれば責任を認めたように受け取られるかもしれない。現場だけでは決められないことが多い。
それでも、最初に文章を作るのは、メールを見つけた人や、相手の言葉を理解できる人である。
会社の大きな判断が曖昧なとき、文面の一語一語に、判断の代わりが押し込まれる。
販売を続けるのか。どこまで謝るのか。同じ商品を別の場所でも止めるのか。再発防止として何を約束できるのか。
本来は経営が先に決めるべきことを、文章を整える作業の中で決めざるを得なくなる。
この構造は、抗議メールに限らない。顧客対応、取引先への説明、公的な報告。会社が言葉を必要とするたび、言葉を書ける人へ責任が近づく。
だから私は、文章力を単なる便利な技能だと思わなくなった。組織の言葉を書くことは、組織の責任の形に触れることでもある。
見落としかけた文章が、読み進めるほど会社の輪郭を正確に指していったことだった。

